大学4年生の時、私は就職活動というものに嫌気がさし新卒での就職を蹴りました。
もちろん1社か2社ほど就活なるものをしてみたのですが、やはり違和感。
その頃の僕は少しひねており、合同説明会なる物に参加し、みんな似たような髪型(リクルートカット)で、同じような服装(リクルートスーツ)に身をつつみ、テンプレートのような志望動機を述べるあの感じが、妙に気持ち悪く感じていたのです。
その他大勢になりたくないというか、人とは違うことをしたいというのか、自分はもっと自分らしく生きたい(ちょっと厨二病かも)みたいな思いが芽生えていたのです。
おそらくそれまではかなり平凡な人生を送っていたと思います。みんながやっているから自分もそうしなければいけないという考えが強くありました。遅れてきた反抗期だったのかもしれません。
親や先生が教えてくれるレールの上の世界しか知らない人間だったと思います。
しかし、大学3回生の冬に某アウトドアブランドでアルバイトを始め、一緒に働くスタッフの多様性に人生の軸を引っ張られました。
もちろん今となってはその生き方が正しかったと思っているのですが、そんな僕がなぜ今、日本企業でのサラリーマンをやっているのかについて、今日は書きたいと思います。
僕の20代は前はんはいわゆるフリーターで、冬にしぞーとバイト的なことをしながらスノーボードをするために、アルバイトをして日々を過ごしていました。
そんな僕も20代半ばに差し掛かるころ、周りの初先輩方から聞く海外の山で滑った話に心を引かれ始めます。
いつかワーホリでカナダやニュージーランド野へ行き現地の山を滑ってみたい。
そんなことを思いながら、行けるタイミングを伺っていました。
キリがないので今回は割愛しますが、さまざまな条件が重なり25歳の時にでワーホリでカナダへ行く覚悟を決め、旅立ちました。
初めは冬だけでも行けたらいいや。ぐらいにしか考えていなかったのですが、友人からのすすめもあり、1年間フルにワーホリのビザを活用して、カナダで過ごすつもりで2014年6月27日に日本を経ちました。
はっきり言ってカナダでの経験は、今の僕の性格や価値観を形成する上でかなり影響を受けています。
日本から出るまでは、旅行で海外へ行ったことはありましたが、実際に現地で生活をするというのは初めての経験。しかも単身で。
日本の国では気にもとめなかった「当たり前」は当たり前ではなかったのです。
ここも機会があれば綴りたいと思いますが今日は割愛しますね。
とにかく国という単位を意識できるようになり、少し俯瞰して自分の生きている世界を見ることができるようになった実感があります。
気がつけば色々あってカナダには4年間住みました。
その間に年もとり、20代もあとわずかになったタイミングで将来についてちょっと真面目に考えてみようという気になったのです。根が真面目で良かったと思います。
自分が住む「場所」そして「職業」この2つについてちょっと真面目に考えてみました。
住む場所については、カナダで永住するのか、日本へ帰るのか。それとも他の国見てみるのか。
アウトドアが好きだった私は、ある程度自然との距離期間が近い街での暮らしをしたいと思っていること。
そういった遊びが好きな私は当時住んでいた家のガレージを見た時に、かなりの量のギアが詰め込まれていることに気が付きました。
これらの遊びを続けていくためにはどこかに活動のベース(拠点)を作ることが必要なことに気がついたのです。
その時にカナダも捨てがたかったのですが、やはり母国である日本での暮らしも捨てられないなと思うようになっていました。
日本でしっかり生活の基盤を作り、そしてカナダへもまた遊びに来れるようにするのが一番自分にとってバランスが取れているような気がしたのです。
では日本に帰ったら何をするか。
正直私の20代を振り返ってみると、ふらふら遊んでいたばかりで仕事として何かをやり遂げたということがないことに気が付きました。
かたや、ちゃんと就職していた同級生なんかは家を買うとか話しており、私の想像の範疇をこえる話を聞くたびに浦島太郎になった気分になっていました。
こんなリザルトのない人間が30を超えると、雇ってくれるような会社はなかなかないのではと、この時初めて危機感を覚えました。
そのあたりからサラリーマンに興味を持ち始め、基本的には1日8時間、週5日働くだけで、決まった給料が自分の銀行口座に振り込まれるなんて、なんて有難い仕事なんだということに気がついたのです。
そこで、ラスト20代である29歳であればまだ就職の希望が持てるのではないかと考え、就職活動をしてみようということになりました。
とはいえどんな職業につくのが楽しく働けるのだろう。そんなことを考えながら自己分析をし、私はどうやら日本の観光業や地方創生といった部分い興味があることがわかりました。
その軸で仕事を探している時に雇ってくれたのが今のこの会社というわけです。
スノーボードが好きだった私にとって、白馬勤務でサラリーマンができることはとても魅力に感じ入社する運びとなったのです。
かなり大事な部分を割愛してしまいましたが、追ってそこはまた記事として上げていこうと思います。
運良く入社できたこの会社は上場企業ということもあり、今ちょうど勤続5年が経ったのですが、有難いことに3年もこういった会社で働けば、社会的な信用がつきます。
4年前まで友人の家を建てる話題に全くついていけなかった私もなんと住宅ローンを組めるようになっているではありませんか。
「社会的な信用」これこそがサラリーマンの一番のメリットかと思います。
自分一人では見向きもしてくれないような人が、会社の看板を背負っているだけで丁重に扱ってくれるようになるものです。
こういったサラリーマンの恩恵は十分に受けさせていただいているのですが、では将来的にずっとサラリーマンをやる続けたいかと聞かれるとおそらく答えはNOです。
やはり、会社が大きくなればなるほど社会的な信用は生まれますが、その分人事異動などの機会も多くなります。
私としては自分の住みたい場所に自分の意思で住めること。いわゆる一種の自由ですが、この部分は人生の優先順位がかなり高く持っています。
この自由をいきなり奪ってくるのもサラリーマンなのです。
今まさに単身赴任が始まってしまい、もろにそんなことばかり考えています。
なにはともえりサラリーマンとしての恩恵は最大限利用させてもらったため、そろそろ次のステージへ進み始めるのもありかなと思っています。
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